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とある日本人と中国語のお話

【 簡体中国語 】 【 繁体中国語 】



  僕が初めて中国語に出会ったのは、小学4年生の時でした。近所の書店で海外旅行の本を立ち読みしていて、中国旅行の本を見つけたのです。その本は旅行会話に役立つ中国語を紹介している本で、気がつくと僕はその本に釘付けになっていました。日本語では漢字以外に平仮名、片仮名を使用するのに対し、中国語は漢字のみで成り立っています。漢字だけの、まるで暗号文のような中国語に自然と興味を持ちました。そして僕たちがいつも読んでいる漢字が、日本語とは全く違う、まるで音楽のような美しい発音で読み上げられる…その中国語の音にも引かれました。当時小学生の僕は中国文化や中国経済なんてまるで知りませんでしたが、中国語、この言語には強く関心を持ち、将来中国語が話せるようになりたい!と思うようになりました。
  僕は無けなしのお小遣いでその中国語会話の本を購入し、家では朝から晩までその本を読みました。しかし当時小学生であった僕には中国語はいささか難しく、まして本にはカタカナのルビしかなく、それから本当の美しい中国語の発音を知るには無理がありました。そのころは英語塾に通っていたこともあり、「今は英語だ」と中国語への関心も次第に薄れていきました。



  それ以来目立ったこともなく、ただ時が流れていきました。しかし僕がちょうど中学生に上がるとき、大きな転機が訪れました。父の仕事の関係で東京へ引っ越すことになったのです。岡山で生まれて岡山で育った僕にとって、それはとても大きなことでした。とはいえ、東京で何をしようという考えも特にないまま岡山を離れ、東京に住み始めました。しかし今思うと、東京で出会ったものは予想以上に僕に大きな影響を与えてくれていたのです。その中でも特に大きかったのは、一人の中国人との出会いでした。彼女の名前は「鍾小霞」といい、中国福建省から来日し僕と同じ中学校に入学していました。しかし彼女は当初日本語が全く話せませんでした。岡山であまり外国人に出会ったことのない僕にとって、日本語の話せない中国人の子が同じクラスにいるのはとても印象深く感じられ、小学生の頃に抱いた中国語に対する興味がだんだん蘇ってきました。入学当初、先生方が彼女とコミュニケーションを取るのに苦労されていたのをよく覚えています。担任の先生が中国語の単語帳を彼女に見せ、彼女が意味を一生懸命理解しようとし、そして先生も一生懸命意志を伝えようとしていました。しかし日本語の全く分からない環境で過ごすのは大変なことでした。授業も分からなければ、友達とも話せません。彼女は給食にさえ手をつけず、悲しそうな顔をしていたのを覚えています。
  そんなある日、学校の先生達が彼女のために通訳を手配してくれました。彼女は言葉の通じる人に会えて嬉しいのか、人が違ったように話すようになりました。通訳を通してではありますが、彼女の考えること、そして僕たちの考えることを伝えあうことができるようになりました。彼女はその通訳さんと日本語を勉強するようになり、そのうち通訳なしで話ができるようになりました。



  僕は彼女に中国語で話してみたいと思い、小学生の頃に買った本を学校へ持っていき、話かけました。「ニーシェンティーハオマ」…彼女は分かってくれません。それもそのはず、僕は中国語に四声があることも知らなかったのです。僕がカタカナを棒読みしたところで通じるはずがありません。僕はどうしても彼女と中国語で話したくて、真剣に中国語の勉強を始めることにしました。お小遣いを持って書店へ行き、学習本1冊と辞書1冊を購入し、自分で勉強をし始めました。発音の難しい中国語、何度もCDを繰り返し聞き、繰り返し声に出して練習しました。英語の教科書には、単語の下に日本語訳ではなく、中国語訳をつけてみたり、身近なところに中国語を設置していきました。それから数ヶ月もすると、努力の甲斐あって、彼女と中国語で日常会話程度なら話すことが出来るようになりました。



  中国語を勉強していくうちに、「中国」に興味を持ち、「中国文化」に興味を持つようになりました。僕は中国語が大好きです。そして中国が大好きです。確かに中国語は難しくて大変です、それでも僕は中国が好きです。日中間に起こる問題に時々悲しくなります、それでも僕は中国が好きです。なぜなら今まで出会った鍾小霞さんを始めとするたくさんの親切な中国人との思い出があるから。将来中国語通訳者になって、大好きな中国と大好きな祖国日本をつなぐ架け橋になりたい、それが僕の夢です。自分の夢に向けて、一歩一歩ではありますが、頑張っていきたいと思います。

  好好学习!天天向上!(しっかり勉強、日々向上)


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